時間 未来から流れている。過去の記憶の曖昧さ。


 自己啓発本などでよく時間は未来から流れてきて、本来の過去から未来に流れる時間とは逆だと書いてあることがあります。それを読んでもわかったような、わからないようなというところです。
こうして冷静に考えても良くわかりません。

昨日の話なんですが、15年ほど前の録音ファイルが見つかりました。僕がある人と未来について話しています。何とも聞いてて恥ずかしいというか。自分の声は録音では骨振動が無いので、変な声になっていますのでなおさらなんですが。
しかし、気がついたことがあります。この未来を語る自分。まるで別人と感じるのです。
話し方も今と違えば、性格もかなり違う。それに話す時、相手に都合のいいように話そうとする自分にも気がつきました。今の自分ならこんな話しはしないし、こりゃ別人だなああ?別人?
そうなのです。過去の自分は別人なのです。そこで僕は気がつきました。
過去のことで悔やんだり、最悪トラウマなことがあるとしても、それって、別人の話で、自分には関係ないなと。
過去の経験や記憶が今の自分を作り上げて、失敗しないように生きている。これって、シュリンクし続けて、未来もないなと思いました。
それに僕が人に合わせて話すが、決して人の話を聞いていないこともわかりました。妄想の中に1人で生きている感覚があります。

今、なぜにその過去、別人格だと気がついたのかと言えば、それは客観的視点が少し芽生え始めたからと思われます。話す自分と、その話を聞く自分。これが出来ていれば、あんな恥ずかしい話をするわけがないというか。
自分には時間は過去から流れるものでも、未来から流れるものでもなく、その時その時かなと考えています。記憶は曖昧でどうにでもなるし、未来はランダム。記憶喪失になるかもしれない。
時間の概念よりも、自分と自分の話を聞いている自分の存在。この存在こそが時間そのものではないかと思うのです。

人はそういうものかと。ただこんな風に考えるようになると、人の数が倍に感じられ、余計疲れる。何とも。もっと深い話になると多重に人格は存在していると思うけど、頭が割れそうなのでこの辺で。。。
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