ココ・シャネル と マリー・ローランサン シャネルの肖像


だいたい僕はなんの知識もなく、ふらりとパリの街を歩いては、美術館に入り、何の知識もないままにアートを鑑賞します。何やら力の抜けた、情動を感じる絵をオランジュリーで見つけました。あまりに印象的で僕は気に入っていたので、あとで、調べたところこの女性はシャネルその人だとわかったのです。でもこの肖像画マリー・ローランサンからシャネルへ納品されたものの気に入らなく返品されたそうですね。

僕の想像ではありますが、この絵、シャネルを見抜いたのではと思ったのです。自分を必死に人生を進めてきたシャネルにとって、本当の自分を裸にされ、よく嘘がバレたような恥ずかしさを感じてしまったのか。と思ったのです。僕は歴史も何も知りませんから、このことがあって、少しシャネルはどうだったのだろうと興味を持ちました。

少しばかりウェブを読んだり、本も少しだけ、一冊も読んではいない。映画もどんな作品なのか知らないけれど、ココ・アヴァン・シャネルを見ました。孤児院で育ったのですね。そのシーンが僕に衝撃的でした、修道女の顔が殆ど見えない。一瞬見えることもありますが、この顔のない。個性を感じられない修道女。孤児院。親が迎えに来ない子ども。どうしたことか僕には何か重い壁のようなものを感じます。ここから始まる人生を正直に話すことは無かったシャネル。そんなある程度まで成功した後に絶頂期に過去に連れ戻されるような絵。もしかしたらそこにマリーとのレズビアンとしてのアプローチがあったのかもしれませんが。このエピソードもどこか逃げようの無い辛さを感じます。


僕はシャネルを一気に好きになってしまいました。自分と重ねてしまいます。自由に生きるために、働かなければならない。自立しなければならない。家族も関係ない。最愛の人とも死に別れる。実は何かに導かれるようにして行ったパリのヴァンドームなんですが、そのへんのエピソードもおいおいここに書こうかなと思います。

ラペ通りがこんな土地だったなんて、知らなかった。カンボン通りの店にも、ヴァンドーム側では無く、カンボン通り側のリッツの部屋にも、興味があります。バーヘミングウェイでゆっくり考え事をする日もいつか来るだろうな。


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